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ディズニー音楽の和訳・考察を中心にしていく予定.

誰も助けてくれない:knock on any door から見る考察

disney plusで久しぶりにドラマでも見るかということで、「誰も助けてくれない」を見てみました。一度軽く見た感想としては、「分からん」と言うこと。伏線が沢山あったとは思うのですが俺が拾いきれていないせいか、あまり良く分かりませんでした。分からない点をいくつか挙げると以下の通りです。

  • なぜブリンだけ、他の民衆と同じ時期に洗脳されていなかったのか
  • エイリアンが
  • 物語の序盤で、ブリンがダンスの練習をしている理由
  • 寄生生物みたいなものを、ブリンはなぜ自分の力で取り出せたのか
  • 取り出す時に、夢の中でモードに出会った理由
  • 夢の中で、どちらかが言った「I'm sorry」の意味。口元しか描かれていなくて、ブリンとモードのどちらが言ったのか分からない
  • 夢の中でモードが奇声を放つわけ
  • 夢から覚めたモードが自分の口から奇声体を取り出し、その取り出した奇声体を取り込んた人物が誰なのか
  • 本物と偽物が殺し合う際の、お互いの表情の意味
  • エイリアンに何かを調べられた時に見た、記憶?の意味
  • 宇宙船から戻ってきた時のブリンの表情の意味

 

もうほんと分からないことだらけです。どこから手をつけようか考えたのですが、音楽好きとしてはストーリーの考察には挿入歌の考察が欠かせないと考えているので、ここでは作中唯一の挿入歌であるknock on any doorを和訳して考えていこうと思います。

 

www.youtube.com

 

和訳

Knock on any door,

どんなドアにもノックを
Down in that old home town of mine;

私の古いホームタウンの街で
Knock on any door,

どんなドアにもノックを
You'll find a welcome, rain or shine.

あなたは歓迎されるでしょう、雨でも晴れでも

You'll see no fancy Turkey carpet,

優雅なトルコカーペットはないし
You'll see no armchairs made of chrome,

クロムで出来た肘掛け椅子もない
But once you're round the kitchen table,

でも一度キッチンテーブルの周りに行ったら
You'll feel at home!

くつろぐことでしょう!

 

So knock on any door,

だからどんなドアにもノックを
You'll find a smile on every face;

みんな笑顔
Friendly kind of folk

親しみやすい親切な人々
Who never ever let you down.

誰も貴方を失望させない

So when you need consolation

だから、あなたが慰めが必要で、
And some friendly conversation,

そしてフレンドリーな会話
Simply knock on any door

ただノックするだけ
In my home town.

私の故郷で

 

So when you need consolation

だから貴方が慰めが必要で

And some friendly conversation,

フレンドリーな会話をしたい時には
Simply knock on any door (knock on any door)

ただノックするだけ
Knock on any door,

ノックして
Knock on any door

ノックして
In my home town.

私の故郷で

 

歌:Ruby Murra

解説

歌手のルビーマリーさんは北アイルランド出身で1950年台に非常に人気だった歌手のようです。曲を聴いた時は、映画オリジナルソングかと思ったのですがそう言うわけではないようですね。

 

作中においてこの曲がかかるのは、序盤にブリンが1人でエンジョイしているシーンと、最後パーティー会場で流れるシーンの2場面です。そして、この曲が主張しているのはとてもシンプルなことで

貴方が辛い時は、私の故郷に来て!

と言うことです。ポイントは貴方の故郷ではなく、私の故郷と言っている部分です。ちょっと不自然ですよね。普通自分の故郷に行くことを薦めるのでは?

 

この部分から単純にストーリーについて考えると、ブリンは辛かったので最終的に自分以外の人の街に行ったと言うこと。

 

考察する上で、何かを仮定しないと前に進まないので、この歌に基づいてそう仮定してみます。そうなるとこの物語が以下のように解釈できますね。

  1. ブリンは幼い頃に友人を殺してしまい、長い間罪の意識に苛まれてきた. 住民も殺人を犯したブリンのことを嫌っていた.(それにしては嫌われ過ぎ)
  2. ある朝庭に出ると、C型に庭の草が枯れていた(つまり、今朝か昨夜にエイリアンは到着している。しかし何故か昨夜は襲っていない)
  3. 街に郵便をポストに入れる為に外出&母のお墓参り
  4. 夜にエイリアンに襲われる
  5. エイリアンに襲われたせいで電化製品が壊れてしまい、警察に電話ができない為警察に出向く
  6. ブリンは、自分以外の一部の家も昨夜襲われたことを知る。しかし街の様子は普通なことから、街の電化製品は壊れていないと予測され、つまり街は襲われていないことが分かる。
  7. 寄生された一部の人間から襲われ、大きな入道雲(エイリアン)がやってくる
  8. 家に帰ると、エイリアンの一つの目玉が部屋の外に移動している(助けを求めるために、部屋の外に出る必要があった?)
  9. エイリアンはブリンに殺意を持っているわけではなく、写真を見たりしてブリンのことを調べている
  10. 光によってブリンは捉えられ、寄生体を体内に入れられる
  11. 夢の中でモードに合うが、ブリンは自らの寄生体を無理やり取り出す。仮に取り出さなければ、ブリンはずっとその夢の中でモードと共に暮らせたと考えられる。
  12. ブリンの吐いた寄生体を取り込んだエイリアンはブリンの偽物に変身したのち、本物のブリンを刺す。しかし本物のブリンは偽物のブリンを殺し返す。(偽物のブリンは、本物のブリンの記憶にモードが生きているという補正を加えたものの持っていたのではないか?と言う勝手な予測もある)
  13. ブリンはエイリアンに捕獲され昔の記憶を見せられる。その記憶から、モードとモードの両親が昔にすでに寄生されていたことを知る。(多分そういうことだと思う。)そうは知らず、モードを殺してしまったことに後悔している過去の自分に対してもう良いのだと自分で自分を許す。
  14. ブリンが自ら過去の自分の行いを許したことをみたエイリアンは、ブリンに寄生体を入れることなく地上に返す。
  15. ブリンは街の人達から受け入れられている。しかし、少し不自然な笑顔をして映画は終わる。

 

うーん、なんか腑に落ちないですね。一応、無理やり「最後なぜブリンが住民に受け入れられたのか」についても考えてみます。この映画が、エイリアンたちによって作られたみんな笑顔の桃源郷(笑)みたいな風刺的なメッセージ性を持たせたいのであれば、最後ブリンにも寄生体を飲ませるべきです。ですが作中では、ブリンが寄生体を取り込んだ描写はないことからおそらく飲ませていないでしょう。

 

では作品序盤と後半のブリンの違いはどこにあるのかというと、やはりそれは罪の意識だと思います。ブリンはモードを殺したことをずっと後悔していました。しかしブリンが殺したモードは実はすでに偽物だったことを知ります。だからこそそこで後悔が消え去り、人の後悔とか悲しみみたいな負の感情を持つ人間に対して当たりの強い寄生対人間たちも、後半ではブリンに接することになった。そう言うことではないでしょうか?

 

P.S> 多分この曲自体に、作中で含意された意味は元はなかったはずなのですが、これからこの曲を聴くときは毎回怖く感じてしまいそうですね 笑

 

最後に

一応結論を出してみたものの、あまり納得感の行かない結果となりました。ブリンの殺したモードは偽物のモードだったと言うのは、ブリンがエイリアンに見せられた記憶の部分からそう解釈しました。ですが、若い時のプリンとその両親が光に当たっていたという理由だけでそこまで読み取って良いのかは分かりませんが。

 

マイナー映画のせいか考察している人もほぼいなくて参考にも出来ないと言う始末。モヤっとするな、、、ただこの解釈だと、タイトルの「誰も助けてくれない」と言う言葉が、「自分のことは自分でしか助けられない」と言うことを指しているのではないかと読み取ることも一応できます。

 

ケイトリンデヴァーの演技が複雑すぎて感情が読み取りにくい、、、いやそれは勿論凄いんですけど!!意見あったら教えて下さい、、、